番外編『平和な五人』後編

「随分と如何わしい雰囲気の場所だな」と、地図を頼りに歩いている歓楽街を見回して、リクが眉をしかめた。

 今はもう日が落ちて暗くなってしまったが、その通りだけは明るい。ただし、この通りを照らしている光は、ピンクや黄色などで、やたら派手な色合いである。その光に飾られている建物も負けずに夢の中から出てきたような色合いだ。
 通りでは、露出度高く着飾った女性達があちこちで客引きをしている。これではまるで花街だ。

「お兄さ〜ん、遊んで行かない?」と、客引きの女性の一人が艶かしい姿勢を取りながら声を掛ける。
「悪ぃな。今待ち合わせてる奴がいるんだ、またの機会にな」

 そう苦笑してやんわりと断ると、また地図と見比べながら道を進む。
 しばらく進んだところで、不意にフィラレスがリクの裾を引っ張った。

「おわっと、な、何だ? フィリー」

 振り向いて聞き返すと、フィラレスはリクの手にある地図を指差し、次に目の前の建物を指差す。どうやらここが目的地だと言いたいらしい。
 確認すると、まさにその通りのようで、リクは危うく通り過ぎるところだった。
 改めて建物を眺めてみて絶句する。

 周囲の店より数段派手な装飾、建物のデザインは奇妙としか言えず、入り口のあたりはスモークまで焚いている始末である。

「うわぁ……入りたくねー……」

 思わず漏らしたリクだったが、この中でコーダ達が待っている以上入らないわけには行かない。仕方なくスモークを潜り、入り口を抜けると、そこにあったのは別世界だった。
 板張りの床、木で出来たテーブルとイス。外見からは想像も付かないくらいに普通の酒場である。特徴があるとすれば、開放的な気分にさせる高い天井と広いフロアだろう。フロアの片隅は舞台になっており、軽快な音楽と共に、艶やかな衣装を身に着けた踊り子が楽しそうに踊っている。

「へえ、中はイイ雰囲気じゃねーか。何で外はあんななのに、余計に客が来なくなるんじゃないか?」
「意外性を狙ったんスよ」
「うわぁっ!?」

 独り言のつもりで漏らした言葉に、思わず背後から返事が返ってきて、リクが振り返りつつ、その場から飛び退く。
 振り向いたその視線の先には見なれた褐色の肌の便利屋がいた。

「そこまで驚かなくてもいいと思いやスけど」
「……いや、でもコーダ、お前、気配とか全然感じなかったぞ……?」と、答えるリクの声には明らかに動揺が混じっている。

 師匠のファルガールと共に修行の旅をし続けて十年。目を瞑ってもそれなりに戦えるように訓練している為、気配などの察知もできる。ましてや知らない建物に入った直後で神経を張り巡らせていたところだったというのに。

「ははは、一流の便利屋たりうる者、このくらいの芸当が出来なきゃ駄目なんス。さ、こっちスよ」と、コーダはリク達二人を自分達の席に案内して行く。

 その席は舞台にほど近い隅に位置した席だったのだが、そこにいたのはカーエスとジェシカだけではなかった。

「あっ、ちょっとどこに行ってたのよ、コーダ!? アタシ達を放っておいてさ!」と、声を挙げたのは広い席の一角を陣取っていた見知らぬ女性である。
 その他にも数人の女性が同席しており、みんな口を揃えてコーダに声を掛けた。

「ちょっとこの兄さん達を迎えに行ってたんスよ」

 にこやかな顔で、答えるコーダを女性達は左右から腕に絡み付くようにして席に引っ張って行く。
 席に座らせた後は、コーダにグラスを押し付け、競い合うように氷を入れ、酒を注ぐ。

「何なんだ、一体……」と、唖然とした表情で立ち尽くすリクの耳に悲鳴じみた声が聞こえる。
「そ、そんな引っ付かれても困るー!?」

 カーエスだ。その両脇には二人の女性がとても楽しそうな笑顔を浮かべ、カーエスに身体を擦り付けるようにして座っている。

「あはは、真っ赤になっちゃっておもしろーい」
「遠慮しなくてもイイのよ〜? ほれほれ」
「胸ッ! 胸当たっとるー!」

「嬉しいクセに〜」「何なら触ってみる〜?」と、更に両脇からすり寄る二人に、カーエスは茹で上げられたように肌と言う肌を真っ赤に染め挙げ、奇声をあげる。また、その反応を面白がって女性達の行為はエスカレートして行くのだ。

「何なんだ、一体……」
「とりあえずお座りになっては?」

 席の片隅では落ち着き払った様子で酒を飲んでいるジェシカである。
 その言葉に従って席につくと、ジェシカは空のグラスをリクの前に置くと、酒を注いでやる。

「お、すまんな」
「いえ。フィリーは果実水の方がいいか?」と、リクのお礼に応えつつ、フィラレスにグラスを渡して聞くと、フィラレスは首を横に振る。「よし、分かった」

 ファトルエルでも酒は飲んでいたので飲ませても大丈夫だろう、とジェシカがフィラレスのグラスに酒を注いでやると。フィラレスはそれを持ち上げ、くいっと飲み干す。まるで水を飲み干すように。

「おぉ、いい飲みっぷりだな」と、リクが面白がってフィラレスのグラスにもう一杯注いでやると、次の瞬間にはもうグラスは空になる。

 もう一杯注いでやったところで、リクの両側からまた新たに二人の女性が絡み付いてきた。

「きゃあっ! このコも可愛いっ!」
「ホント、女の子みたい!」

 その言葉に、リクは唖然とする。童顔は承知の上で、目下の悩みの種だが、女みたいだと言われることはなかったのに……最近は。
 顔つき、栗色の髪、エメラルドグリーンの眼、と顔のパーツのほとんどがリクから男らしい雰囲気を奪っている。
 子供にするように抱き着き、頭を撫で回す二人に、リクは眉をしかめさせて言った。

「あのさ、姉さん達、俺一応成人してるんだけど」
「あら、そうなの? ごめんね、子供扱いしちゃって」
「でも我慢出来ないくらいに可愛い〜っ!」

 一応謝るものの、リクの言葉を聞いた様子は見せない。かえってリクの頭を抱えたりして、行為はエスカレートする始末だ。
 リクは憮然とした顔で、肘を付きつつ、酒を口にする。
 しかし、子供扱いされて腹が立っているとはいえ、二人のうら若い女性に思い切り身体を密着されているというのに、全く動揺する様子を見せないリクに、コーダが尋ねた。

「兄さんはカーエス君とは違って、随分女性に慣れてやスね。ひょっとして“経験アリ”でやスか?」
「……まぁな」

 かなり際どい質問で答えるのに躊躇したものの、結局認めたリクに一番驚きを見せたのはカーエスである。

「ええええぇぇぇっっ!? 嘘やろ!? お前みたいな典型的朴念仁がンな経験あるわけないやんか!」
「……典型的朴念仁とはどういう言い種だ、テメー。生憎恋をしたことはねーけど、何度かファルに娼館に連れてかれた事があるんだよ」

 リクが半眼で睨み付けて言い返すが、カーエスは完全に取り乱している。

「先を越されたー! 朴念仁に先を越されたー!」

 頭を抱えて振り回しているカーエスが、にわかに黙る。その喉元には、テーブル越しに槍が伸びている。その先にいるのは勿論カンファータの女性魔導騎士である。

「……ならばお前は先に“死出の道”を渡り切ってみるか?」
「止メトキマス」

 半ば喉仏のすぐ下に、半ば食い込んでいる槍の穂先を感じながら、半ば虚ろにそう答える。

「ジェシカさんはどうなんス?」
「……女にそんな質問をするとは、どんな教育を受けてきたんだ貴様は」と、カーエスに槍を突き付けたまま、ジェシカが睨むと、コーダは目を逸らし、おどけた仕種で自分の口を手で塞いだ。

「あの人コワーイ」と、コーダに摺り寄る女達の肩を抱き、コーダが爽やかな笑顔を浮かべて言った。
「大丈夫スよ〜。いざとなったら俺が守ってあげやスからね」

 普段の口調などで忘れがちになるが、コーダは褐色の肌とコントラストを成す白髪、意外と長身で逞しい体つきと、男としての魅力に満ちた外見をしている。
 それに便利屋としてやっていけるほどの観察力などを、気配りに応用すれば、女性など幾らでも寄ってくるだろう。

(まあ、一番意外なのはコイツが女好きというところか)

 いかにモテる要素を備えているからと言っても、ただ立っているだけではこれだけの数は集められまい。つまりコーダは積極的に声を掛けていった事になる。ファトルエルにいいた時は特に女性に興味を寄せている風には見えなかったのだが。
 この酒場にきたときには相当の人数の女性がいたが、せっせと女性に声をかけるコーダというものが想像出来ない。

(まてよ)

 ファトルエルでコーダがリクの便利屋になった時も、たしか彼から声を掛けてきたのではなかったか。

(……俺も口説かれたクチか!?)

 恐ろしい結論に達しかけたところで、リク達の後ろから野太い声が聞こえてきた。

「随分と景気がいいじゃねぇかニイちゃん達」

 その声に、振り返ってみると同じくこの店で飲んでいたらしい男達数人がリク達の席を取り囲むようにして立っている。
 男達は例外なく筋肉質の身体をしており、いかにも力強そうだ。

「姉ちゃんもこっちに来て飲もうぜ」
「やーよ、あんた達みたいなムサッ苦しいのは」
「ツレねぇコト言うなよ」と、男がコーダの傍に座っていた女性の一人の手首を掴んだところで、それがパシンと叩かれる。

「嫌がってやスよ。他を当たってみては?」

 そう言ったコーダの口調はあくまでも柔らかく、いつも通りだ。

「こんなに一杯女がいるんだ、四、五人回してくれてもいいだろうが。男三人にその人数じゃ、明らかに不釣り合いだろうが」と、リーダー格らしい男が下卑た笑いを口元に浮かべ、威嚇するように胸をはって座っているコーダを見下す。

「そんな事言われても、この女の人達は俺のじゃないスからねぇ。まあ、女の人はそこらに沢山いやスから。自分で口説いて飲みやんせ」と、コーダは全く畏縮した様子を見せずに返す。

「面倒臭ぇんだよ。他に女がいるんならテメェが口説いて集め直せや」と、今度は厳つい顔をコーダの目の前まで近付けて言う。

「そうやなくて、自分でオトす自信がないんちゃうん?」と、別の方向から声が掛かり、リーダー格の男がぎらりとした視線を向ける。そこにいたのはつまらなさそうなものを見る目で男達を眺めるカーエスの姿がある。
「ンだと? 何か言ったか? ボウズ」

 すると、今度は別の場所から言葉が飛んでくる。

「女を口説くには頭がいるからな。カラダばっか鍛えて育った筋肉馬鹿にはちょっとばかり無理な話じゃないか?」

 更に怒りを増幅させて睨んだ先には、既に大きめのボトルを二瓶空けたフィラレスに酒を注いでやっているリクである。

「いえ、人数に頼んでくるところをみると、筋肉の方も足りないのでは?」と、間髪入れずに追い討ちを掛けたのはジェシカである。

「テメエら……!」

 額に、二の腕に血管を浮き上がらせ、顔を真っ赤にさせた男が、先ずは手近にいるコーダの胸ぐらを掴み、持ち上げる……直前、男の身体が吹っ飛んだ。
 男達が注視する中、吹っ飛んだ男の顎を捕らえたのであろう自分の拳を不思議そうに見つめていたかと思うと、とぼけた顔で謝った。

「アハハ、つい手が出ちゃいやして、すいやせん。ついでに、あの人達の言葉も許してやってくれやせんか? 全く……人の図星突いちゃいけやせんよね。いくら当たってるからって」
「本当は欠片も謝る気ねぇだろ、ニイちゃん」

 にこやかに一番凄い事を言っているコーダに、つい男の一人がツッコんだ。

「しかしいるもんだなー、ここまでベタな奴らって」
「見られたのは幸運だったかもしれませんね。私は本の中にしか存在しないものかと考えておりましたが」
「サインとかもろとく? 映像記録とかもしときたいかも」

 更に追撃を加えるリク、ジェシカ、カーエスの三人。男達の顔は熱を帯びた鉄のように真っ赤になり、震えている。自分も追撃に参加していながらも、よく耐えているものだとリクは思った。

「もう、駄目じゃないスか。そんなこと言っちゃ」と、コーダが追撃を諌めるように言う。そしてもう一度謝ろうとしたのか、男達の方を向くと、何かに気が付いたように男の肩を指差す。「あれ? なんスか、その肩のヤツ」
「肩ァ?」と、男が自分の肩の上に目をやると、全身が凍り付いたように固まり、血の気が引いて真っ青になる。「あ……あぁ……っ!」

 それもそのはずで、その男の肩に乗っていたのはサソリだったからである。リーダーだの肩に乗ったものに、思わず退いてしまった部下達だが、頭や背中に何かが落ちてきたのを感じ、恐る恐る確認してみる。
 嫌な予感は外れてくれず、それらもまた、サソリだった。思わず上を仰いでみると、十数匹からのサソリがもぞもぞと高い天井の梁で蠢いているのが見えた。運の悪い事に、天井を見上げたところに、丁度サソリが落ちてきて、顔の上に着地された男もいる。

『う……うわああああぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!』

 叫び声を挙げ、時に転がりながら男達はサソリが降ってくる一帯から散り散りに逃げて行く。
 そんな男達をコーダは肩に頭にサソリを乗せて見送った。

「へい、毎度。またのお越しを〜」

 最後の男が、店を出て行くのを確認すると同時に、サソリ達が魔力の光になって四散する。どうやら、サソリはコーダの魔法によって“召喚”されたものだったらしい。
 コーダは召喚したサソリ達を魔力に還すと、元の席に座って笑った。

「ハハハ、あんまり砂漠の知識とかないんスね。本物だったとしても、毒のあるサソリじゃなかったんスけど」

 結局独壇場で男達を追い返してしまったコーダに、女性達が歓声を挙げて駆け寄った。

「コーダすごーい!」
「今の何? 魔法!? コーダ、魔法まで使えるんだ〜!」
「一流の便利屋たるもの、魔法の一つや二つは使えるもんスよ〜」

 はっはっは、と得意げに笑うコーダだが、リク達その他の面々は結局口だけしか出せず、不満そうな視線を送る。

「ずっこいなー」
「そうだよなー、いいトコ取りが」

 こうして、五人の旅の初夜は過ぎて行く。
 ちなみに、現在の時点でフィラレスの前に並ぶ空ボトルの数、六本。


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「荷物も積んだし、そろそろ出発しやスかァ」と、《シッカーリド》の御者席に昇りながら言ったコーダは今日も上機嫌だった。

 対照的に、不機嫌なのはジェシカ、二日酔いで不調なのはカーエスだ。

「全く……今日出発すると分かっていたのだから加減をすればよかったのだ」
「うえぇ……頭痛い」

 カーエスは、一昨日の夜、つまりファトルエルでの宴でも酒を飲んでいたのだが、そちらでは専ら飲むより騒いで喋る方に集中していた為、あまり酒は飲まなかった。昨日は彼をからかって遊んでいた女性陣に進められるまま酒を煽り、泥酔状態にまで陥っていたのである。昨日の時点で、カーエス以外の全員が今のカーエスの状態を予想できていた。
 ちなみに、フィラレスはカーエスの数倍、ボトル九本分もの酒を飲んでいるが、酔った様子も、今現在その酒が残っている様子も見られない。昨日から思うに、フィラレスは見掛けに寄らずかなりタフなようだ。

「吐けるなら今の内に吐いとけよ。これから“阿鼻叫喚☆コーダのサソリ便ライド”だぞ」

 リクの言葉に、昨日の朝味わったばかりの恐怖を思い出したカーエスの顔がさっと青くなる。

「阿鼻叫喚て……失礼なネーミングッスねぇ……。今日はそんなに飛ばしやせんよ。昨日は日がある内にレンスに着きたかっただけで」
「ほう、どのくらいだ?」

 リクが疑わし気に聞くと、コーダは心外な、とばかりに笑って答えた。

「普通のサソリ便のほんの四倍スよ」
「十分じゃボケェッ! あうぅ」

 反射的に大声を挙げ、その行為は現在進行形で自分を悩ませている頭痛に響いて、カーエスは頭を抱え込んでうずくまる。

「嫌やぁ、嫌やぁ」と、先に見える地獄に拒否反応を見せるカーエスに、ジェシカが近付き、慰めるように肩に手をおいた。「ジェシカ……?」

 その同情心にカーエスが感謝のこもった眼差しをジェシカに向ける。
 ジェシカはその目を見つめ返し、にっこりと聖母のように微笑んだ。

「ぐふっ!?」

 その瞬間、カーエスの顔が歪み、力が抜けて気を失ってしまった。その鳩尾には、ジェシカの拳が突き刺さっている。
 ジェシカは、崩れ落ちたカーエスに背を向け、リクに言った。

「地獄なら、寝ていた方がよほどマシでしょう」

「なるほど」と、納得するリク。
「客席の中でもどされても困りやスし、荷物と一緒に屋根に縛り付けておきやスか」と、更に血も涙もない提案をするコーダ。
 本気で縄を持ち出しはじめたリク達に、やんわりと止めに入るフィラレス。

 こうして、リク達は魔導文明の先端たるエンペルファータに向けて出発したのである。その先に巻き込まれる事になる大きな事件など知る由もなく。

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